2013.04
08

岩手を周って


4/1~5の期間、一関~花巻~盛岡~宮古と岩手県を仕事で駆け回っていました。

一関のお蕎麦屋さんのお話

一関のお蕎麦屋さんの店主とお話をし、一関の現状を色々聞けました。
・毎月100~150人ぐらい人口が減っている。役所の入り口に人口統計の掲示板があるから、それを見れば分かる。
・周りの蕎麦屋は経営状態が悪いから潰れる所は少ない。問題は後継者不足だ。売り上げが上がっていてもやる人がいない。
・後継者不足は人間関係の問題が大きい。田舎の飲食経営は家族経営が基本。そこに他人が入ってきてもうまく馴染めない事が多い。
・飲食店は忙しい。朝の仕込みから終業まで、365日ほぼ休み無く働かないと生活できない。
・田舎は産業が飲食、農林水産業、ホテル、お土産屋ぐらいしか無い。若い人たちが夢を見て都会に行くから、せっかく子供を育てても人口が育たない。
との意見を聞けました。

宮古を周ってみて

それから一関~盛岡までの調査を終え、2時間かけて宮古へ。
宮古に近づくにつれ「もしかして、ほとんど何もないのでは・・・?」と思うように。
下調べも何もしてなかったので、少し緊張をしていました。

宮古に着くと、国道沿いや沿岸部から少し離れた中心部は、町としての機能が復活してきているように思えました。
さすがに沿岸部は建物はなく土台だけの所が多かったのですが、漁港や魚市場は機能していました。
飲食店の店主の話では、震災直後に落ち込んだ売り上げも、現在は70~80%ぐらいは回復してきているそうです。

そこから少し北上した所に田老町という町があります。
ほぼ壊滅状態でした。
調べてみると、津波の被害が多い地域だそうです。

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田老は「津波太郎(田老)」の異名を付けられるほど古くから津波被害が多く、江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で村がほとんど全滅したとの記録がある。
1896年(明治29年)6月15日 – 明治三陸地震で発生した高さ14.6mの津波が襲い1859人が死亡。
1933年(昭和8年) 3月3日 – 昭和三陸地震による大津波では911人が死亡。
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wikipedia 田老町

いろいろ思ったこと

地方で若い人が残らないのは仕事がないからだ。という言葉をよく聞きます。
しかし、それだけでしょうか?
実際に地方の若い方やお年寄りの話を聞くと、これまで新聞やテレビの文字でしか形作られていない問題が見えてきます。

今回の岩手訪問でちょっと思った事が。
地方に産業があること。稼げる産業であること。
そして「産業の多様性」があること。

これも大事かなと。

3次産業もホテルや飲食だけでなく、デザインやITといった職業を選べる自由が広がれば、若者も地方に魅力を感じるのではないかと。
地方は生産から加工までできるけど、それ以降の業務(卸や販売といったサービス)は都市部に任せてきていました。
生産から加工や販売まで6次産業の振興として、ITやwebってもっと役立つのではないかと思いました。

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