今週で4回目。松島も大分片付いてきた。
しかし、まだ片付いていないところが。
ハーバーの運営委員会の管理事務所。通称「中川ハウス」だ。管理してるのが中川さんだから中川ハウス。
もとあった場所から10mぐらい流されていた。ちなみにこれは3/26の写真。
震災から1月以上が経ち、やっと管理事務所も元の場所へと戻ってきた。
しかし、中にあった棚やテレビ、机なんかはぐっちゃぐちゃ。
中川さんは物を大切にする人なので、古いもの・まだ使えるものは綺麗に整理されて小屋の中にたくさん置いてあった。昭和初期に作られた年代物のモーターなんかもあった。
一つ一つあつめて大事に使ってたもの。
それらが泥まみれになったりして使えなくなり、中川さんもどこか元気が無かった。
「どこから手をつけていいかわかんねえ」なんて言葉を中川さんから聞くとは思ってなかった。
大学3年の秋、海上でヨットの練習をしていたとき、突然強風が吹いてきた。
海は白波が立ち荒れ模様。
しかし自分は強風になると「絶好の練習機会!」とテンションが上がる性格なので、帰港命令が出るまではガンガン乗っていた。
しまいにはスピンを上げてジャイブ(風下への方向転換)したところ、へぐってしまい沈(船が倒れる)してしまう。
風が強すぎてなかなか復帰できずにいると、うねりによって船が海面で上下し、しっかり留めてた舵ががたついてとれてしまった。
舵とは車で言うハンドルのことだ。
運転中にハンドルがスポッと取れてしまったかんじ。
相当にデンジャーな状況だった。
始めはなんとか舵を確保しようと左手で船、右手でとれた舵を掴んでいた。
しかし海面でうねる水の力は強く、「このままでは自分も流されてしまう」と思い舵を離してしまう。
松島には牡蠣を育てる牡蠣棚がたくさんある。
舵の無いヨットは流されるまま牡蠣棚の元へ行き、そのままマスト(帆をつける柱)が牡蠣棚の上に乗っかってしまう。
自分はセールに傷がつくのが嫌だったので、マストとセールを持ち上げて牡蠣棚の上で耐えていた。
そんな状況が小一時間ほど続いたとき、颯爽と救助に来てくれたのが中川さんだった。
荒れた海でヨットを引っ張り上げ、セールを降ろし、曳航(船を引っ張る)してハーバーまで無事体と船を帰してくれた。
その後も舵の部品の手配をしてくれ、大きく穴が開いた船の直し方を教えてくれたのも中川さんだった。
折れたマストの直し方、セールの縫い方といった「自分の手で直す」という事や、古い部品を組み合わせて使える部品を作るといった事も教えてくれた。
どんな状況も自分の手でなんとかしてきた中川さんの口から、ナイーブな言葉を聞くとは思ってもいなかった。
そんなこんなで借りのある中川さんの力になれればと思い、ぴっかぴかにしてやろうと清掃開始。
中にあった棚、テレビ、机などを外に出し、泥をかき出す。
その後は、洗浄器で(床以外は)ピッカピカ!
壁の裏や本棚の隙間に入り込んだ泥を洗い出すのがしんどかった。
来週も頑張ろう。